人生で不幸だったとよべる時期がないようにしたいですよね。
不幸と嘆く人が本当に不幸なのって、たくさんある幸せを感じる心を持てない、
その事につきるんじゃないかなぁ?
ある人が癌になって二年が経ちました。
その間の、抗癌剤と放治による苦しい闘病生活にも関わらず、
無常にも癌は肺をも侵しはじめました。
身体の中のその爆弾が、なにげない時の経過にさえ恐怖を感じさせます。
2004年度のネイサンズの大会、
それは癌と告知され、手術を受けてから数ヶ月後の大会でした。
「頑張る姿が励みになる、
(化学療法による)吐き気とも闘う勇気がもらえる」
お見舞いに行った時にそんな言葉をもらいました。
他の病棟からも他の患者さんが集まってきて、
「頑張って欲しい」と僕は逆に励まされる事もありました。
癌は不運であって不幸ではないって事なんだと思います。
(自分の状況をただ嘆く人にとっては不幸かもしれないけど。)
僕も、大きな悲しみに飲み込まれる事なく、
自分を取り戻そうと思いました。
そして、また人生を前向きに考える努力をしてみました。
どこにも完璧な人間なんて存在しませんよね。
だからこそみんながみんな永遠に成長しつづける事ができます。
アスリートはその可能性の素晴らしさを試合を通して伝える事ができます。
心に限界を作らなかったらそれは永遠の可能性なんだよって。
僕には、目の前の食べ物に、限られた時間の中で
ひたすら喰らいつく事しかできないけれど、
こんな姿からでも幸福な人は本質的な部分で何かを感じとれる。
その年、僕は新記録で優勝しました。
そして秋には、ランスの黄色のリストバンドを二つ買って、
一つは自分に、もう一つはその人に受け取ってもらいました。
あれから二年。
その人は少しでも長く生きて、(人のために)すべき事があるといいます。
今回はそのための手術だというのです。
国立癌センターではもう手術はすすめないという状況です。
楽になりたいと言われても、手術をすると言われても止める権利は誰にもありません。
本人の切なる願いを聞いてあげることが、周りの人間のすべき事なのだと思います。
手術によってたった数ヶ月、命が延びるならば
その時間をつかって人のためにやりたい事がある・・・
残された時間が限られていたとしても、
人生の深みには限りがないのだと感じました。
僕らはどんな状況でも幸せでいられる力をもっているんですね。
もし健康と平和と愛に恵まれていたなら、不幸ぶってる人も実は
みんなめちゃめちゃ幸福なんじゃないかなぁ。
ああなれば幸せになれる、こうなれば幸せになれる、なんて
現実にたいする不満なのかもしれないです。
状況そのものが人を幸せにしたり不幸にしたりなんてしないんだから。
不運を乗り越える精神を目の当たりにする時、
これからも思いたい。
今を幸せに感じようとしなかったら、10年たっても
幸せになんてなっていないんだと。
二度目の手術が3日前に行われました。
これからまた、苦しい闘病生活が始まります。
(二年前より状況が悪化しています)
これまでどおり大会も両立して行こうと考えていますが、
不甲斐ない成績で続けるつもりはないので頑張ります。
そのかわり、いつかしばらく試合の参加を見送る時がくるかもしれません。
(かといって特別に何かできるわけではないのだけど)
不運との遭遇。それは飛躍の時。
本人が選んだ道であれば、僕は応援します。