中学の担任が、とてもうるさい人でした。
通っている中学校の給食では、主食がライスの日が週に二回ほどありました。
先生、このご飯の盛り付けを生徒にさせてくれません。
「食べきれないから少しにしてください」という生徒に、
「クラス全体でご飯が残らないようする」とかで、無理に盛り付けます。
生徒は強制的に食べさせられていました。
あの時の僕はこう思っていました。
「だったら、各クラスの食事量にあわせて給食の量をコントロールしてもらえば良いじゃないか」
「なにかの意味を持つわけでもないのに、必用以上の量を毎回みんなに食べさせる事も無駄ではないのかな?」
無理やりに食べさせられる給食の時間をもっていたから、こんなこと考えたのかもしれません。
ある日、ちょっと気になって、こっそり、2組(となりのクラス)のごはんの量をのぞいてみました。
びっくりです!
ご飯の量が、最初から僕らのクラスよりも明らかに少なかったのです。
もちろん、生徒数は二つのクラスでほとんど変わりはありません。
確信しました。
無理に、担任がきれいにカラにするから、このクラスは良く食べると勘違いされ、量がますます増える。
(実際、こうした調整がされているか知りませんが、となりのクラスとは全然量が違ったので)
どっさりと盛られるご飯。
生徒がそれでも我慢できたのはどうしてだと思います?
実は、強制的に食べさせられていた、というのは間違い。
食べていないのです。
食べられない生徒は、とりあえず、我慢して盛り付けだけしてもらっておいて、あとは担任にバレないように処理してしまうのです。
処理方法はそれぞれ。
家に持ち帰る、学校のトイレにこっそりすてるなど。
担任は、自分のクラスから残飯を出したくなかっただけです。
だから問題ありませんでした。
食べずに捨てる生徒を、見て見ぬ振りをしていたのか、そこまでは気がまわらなかったのかは知りませんが。
ちなみに、ヘタに反抗して食べ残すと、給食の時間だけでなく、休み時間中も食べさせ続けられました。
捨てる事を念頭におき、捨てられない食べものを先に食べてしまう事が正しくなっていきます。
クラスでは、こっそり後で見えない所で捨てる生徒より、食べられる量だけよそってもらおうとしたり、食べられずに残してしまう生徒の方が悪でした。
この「残した人間が悪者」という意識を強く持たされると、
食べる前と後の話がしづらいくなります。
中学生の僕のように、
「残さず食べろ」なんて言われたら、「だったら最初から残すほど用意しなければいいのに」って考え方は、子供でもできます。
でも、いつの間にかそもそも残すのが悪い事なのだ、とう社会の風潮にすり込まれ、みんな隠して捨てるようになる。
次第に、自分の内面の問題として捉える意識が弱くなる。
「何故残してはいけないのか」
「残さないためにどうするのか」
「残したものをどうするのか」がどこかへ行ってしまう。
この、なんとなく残しちゃいけないという固定概念で育つ事のほうが、残す事よりも、よっぽど危険な感じがします。
そんな子供が親になり、子供を育てるわけです。
日本人は、食べ残しや、食べ物の無駄、に対し神経質な国民です。
ところが、意外と習慣やシステムにまでは反映されていません。
レストランなどで余った食事をボックス(ドギーバッグ)に入れて持ち帰る習慣はありません。
(食品衛生上の問題なのか、余ったものを持ち帰るのが恥ずかしいという見栄なのか、それ以外の問題なのかはわかりませんが、とにかくありません)
フードバンクというシステムも、アメリカから10年以上おくれて、最近入ってきたばかりです。
食べ物の無駄に対し、とても神経質で、食糧自給率も低い国でありながら、実は世界有数の食品廃棄国なのです。
この事実を知った時、なぜか子供の時の給食を思い出したわけです。
偉そうなこと言える立場ではないので、踏み込んだ話はしませんが、
とりあえず日本人の「食べものがもったいない」
についてでした。
ちなみに、廃棄された食品はこのようにホットドッグにして僕がトレーニングに利用しています(笑)